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旅行から帰った次の日は句会でした。しかも、私が幹事。

前日の羽田への到着は、22:45という遅い便。空港から出られたのは24時ごろ。
最終電車に乗って家に着き、荷物を片づけて、洗濯機を回して、その時点で午前3時ごろだったけれど、それから俳句を考えて(一夜漬けかい!)。旅先や飛行機のなかでも考えてはいたものの、ヨーロッパ文化に酔いしれていては、なかなか言葉がまとまりません。大量の洗濯物をやっつけながら、なんとか俳句を仕上げて、仮眠をとって、時差ぼけを味方につけて句会に出かけました。

席題(句会の席で発表する季語)は、幹事の私が決めます。
「八月」にしました。八月という季語はほかの月とは違い、戦争や平和への思いも包含します。もちろん単純に八月という時を詠んでもかまいません。
私の句は、こんなん。

 八月や 目の前のこと この国のこと

下五の「この国のこと」の字余りは、あえての破綻。
8月は、いつもよりこの国のことを考える。でも、正直、目の前の自分のことでも精一杯。でもやっぱりこの国のことを考える。てな句。
短冊(いちばんいいと思った句を短冊に書いて作者に渡す)を2枚いただきました。

その句会で、句集をつくることになっています。
前回句集をつくってから60回ぐらい回を重ねていて、その記録(俳句だけでなく講評も!)がすべて残っているので、60回のなかから自分の分の14句を選びます。1回の句会で3句つくるから、全部参加していたら180句。欠席した分を引いて、私の場合120句ぐらいかな。

その120句と向き合うのが、なんとも恥ずかしいことで。自分で満足できる俳句なんて、滅多につくれないのだから、とにかく自分のヘタクソと向き合い、じゃあどうすればいいのか分からない自分の成長のなさを思い知り。そんなことを120回もやるんですよ。しんどい。苦行。

けれどそれは、ある意味有り難いことで、先日も句集の打ち合わせのとき、思わずこんなことを言ったほど。
「16年前のあのとき、俳句やらない?と誘ってもらって本当によかった。いまブームになっていても、こんなに恥をかくもの、いまからではなかなか始められないから」
いえ、何事も始めるのに決して遅いということはありません。ただ、私の場合は書く仕事をしているので、なおさら早い段階から恥をかいて訓練を積んでおいてよかったと思うのです。

恥は、訓練。失敗を恐れず挑み、失敗に気づき、どうすればいいか考える。それを繰り返しておけば、いざというときに次のところから一歩を踏み出せる。
芸術もスポーツも学問も、すべてそうだと思います。

もちろん書くことの訓練は、俳句でなくてもいいけど、ね。
私も俳句以外のことでもやっているし、やれていない部分もあるし。

言いたいことがあったとき、それをどう言うか。ぴったりの言葉をさがすのは、AIでもできる基本に過ぎなくて、それを自分はいかに伝えるか、という訓練。
よし、もっとがんばるぞ。みんなも(誰?)がんばろう。

写真は、句集の打ち合わせのあと、神保町の文房堂で買った指輪。
ちょうどNHK東京児童合唱団が合宿に行っているときで、みんなが無事帰ってくることを願って、かえるの指輪。指にはめると、頑張ってつかまっているようで可愛いの。
もうひとつは、前に「天狗茸」を季語に大胆な句を詠んだのだけど、それは大胆なだけで、未熟な句だったなあという自責の念をこめて。

ふたつとも、机の上の、いつも見えるところに置いています。